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高知地方裁判所 昭和43年(ワ)241号 判決 1976年4月19日

原告

小野寺節

右訴訟代理人

藤原周

外一名

被告

野崎耕一

被告

田中稔正

右両名訴訟代理人

細木歳知

外一名

主文

被告らは各自原告に対し一〇〇万円及び内八〇万円に対する昭和四〇年五月二五日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担、その二を被告らの連帯負担とする。

この判決は、原告勝訴部分にかぎり、仮りに執行することができる。

事実《省略》

理由

一被告野崎は外科医で、野崎病院を経営しており、同田中も整形外科医で同野崎に雇傭され、右病院に勤務していたことは当事者間に争いがない。

二本件手術に至る経過

原告が昭和三八年九月三〇日、ガラスコツプを右手で握り机に叩きつけたところ、右ガラスコツプが破損し、右示指に受傷したことについては当事者間に争いがなく、右事実に<証拠>を総合すると次の事実が認められる(後記認定に反する部分を除く)。

1  原告は昭和三八年九月三〇日、前記のとおりガラスコツプを割り、その破片で右示指掌側第一関節を約一センチメートル切り、二、三日間自宅で治療をしていたが、治癒しないので武田病院で通院治療をうけた。しかし右傷が切創部から手掌部まで化膿してきたので同年一〇月一一日今西速雄医師の診断を受け手術をした。

2  その際右傷は、右示指及び右手に発赤腫脹があり、右示指掌側第一関節に横一センチメートルの切創があつた。

3  そこで今西医師は、原告の右示指掌側の尺側から手掌部に至つて縦四センチメートル切開して排膿し治療した(なお、右今西医師の手術の際に神経を損傷したか否かについては本件証拠だけでは不明である)。

4  原告は同年一一月一八日まで今西病院に通院した。

右手術部位は癒着したが、四センチメートルにわたり瘢痕が残つた。

5  しかし、その後右示指の瘢痕部がチクチクと痛みだしたので、原告はヒルドイド軟膏を塗布していたが、昭和三九年四月一四日、被告野崎の経営する野崎病院に赴き、被告田中の診察を受けた。同被告は、原告の症状を右示指有痛性瘢痕と診断し、注射、内服薬、湿布等の治療を行つた。

三本件手術

被告野崎が、昭和四〇年五月二二日、原告を診断したうえ、被告田中に手術を命じたこと、同被告は同月二四日、原告の右示指、右中指の近位掌側指皮膚線から約二センチメートルの手掌部を横二センチメートル切開し、右示指掌側の尺側正中神経と右中指掌側の繞側正中神経のいずれも末消神経約一センチメートルを切除した後縫合するという手術をしたことについては当事者間に争いがなく、右事実と<証拠>を総合すると次の事実が認められる(後記認定に反する部分を除く)。

1  昭和四〇年五月二二日直前頃、前記今西医師の手術痕である右示指瘢痕部の疼痛が増強し、原告は鎮痛剤を服用して疼痛をまぎらわしていたが(鎮痛剤の乱用の結果、胃腸炎となり、谷岡病院へ入院したこともある)、五月二二日被告野崎の診察を受けた時には、原告は自殺したいほどの疼痛を訴える状態となつていた。

2  被告野崎は同日原告を診察したが、原告の訴える右示指瘢痕部の疼痛が、昭和三九年四月一四日以降の保存的療法(内服薬、注射、湿布)では治癒しない原因として、右示指瘢痕部に神経腫(神経の末端がふくれ、そのため外力によつて刺激を受け疼痛を生ずる)あるいは神経癒着(前記今西の手術によつて神経鞘が損傷され、そのため筋肉と癒着して疼痛を生ずる)が存在し、そのため疼痛が除去されないのではないかと考え、右疼痛を除去するには、右示指の瘢痕部で神経腫を切断するかあるいは神経癒着を剥離するしかしなければならないと判断し、手術を決意した。

そこで、被告野崎は原告に対し、神経を右示指瘢痕部で切断すると告げたところ、原告は右手術を承諾した。

被告野崎はただちに被告田中を呼び、原告の症状を診断させ、手術を命じた。その際被告野崎は、原告の手術方法を具体的に指示することはしなかつた。

3  被告田中が原告を診察したところ、原告は右示指瘢痕部が自殺したいほど痛いと訴えたが、右疼痛が右示指の部分的な痛みでなく右示指瘢痕部全体の痛みであつたので神経腫の形成による疼痛ではないと考えたこと、又、原告の疼痛が、右示指瘢痕部の神経癒着によるとしても、神経癒着の剥離手術は、場所的に二重の瘢痕拘縮を生ずるおそれがあると考えたこと、更に原告の顔つき、疼痛の訴え方によると、単なる神経損傷以外の心因的な要因が、原告の疼痛に影響しているのではないかと考えたこと等により、瘢痕部の下方で神経を切除しようと思慮し、原告の右示指掌側の尺側正中神経をブロツクしてみたところ疼痛が除去されたので、右部分での神経切除を同月二四日にすることとした。

4  被告田中は、同月二四日手術を施行した。

手術開始後、右示指の神経切除前に神経ブロツクを行つたところ、不完全ながら痛みは除去されたが未だ痛みが残存していた。

被告田中は、その原因として右示指瘢痕部の下方が手掌部まで及んでいたので原告の疼痛が右中指掌側の繞側正中神経とも関連しているからではないかと思慮し、右中指掌側の繞側正中神経をブロツクしたところ痛みが完全に除去された。

被告田中は、原告の疼痛に心因的要因も影響すると診断していたので、この際五月二二日の段階で切除を予定していた右示指掌側の尺側正中神経だけでなく、右瘢痕周辺部の右中指掌側の繞側正中神経も切除することによつて、原告の心因的要因をも除去しようと考えた。結局右示指、右中指の近位掌側指皮膚線から約二センチメーチル下方の手掌部で、右示指掌側の尺側正中神経と右中指掌側の繞側正中神経を約一センチメートルずつを鋭利な剃刀で切除し縫合した(原告は、右中指掌側の繞側正中神経へのブロツクはされなかつた旨主張し、原告本人尋問の結果(一、二回)によれば右主張に沿う部分があり、又被告田中の本人尋問の結果(一回)により成立の認められる乙二、三号証のカルテによれば、ブロツクした旨の記載はない。しかし、原告本人尋問の結果(一、二回)によれば、手掌部へ注射が三、四回打たれたというのであり、又被告田中の本人尋問の結果によれば右部分へブロツクしたこと、ブロツク注射はそれだけでは保険請求ができないのでカルテには記載しなかつた旨供述しており、右供述に照らし、前記原告の主張に沿う証拠は措信しがたい)。

右手術は、一五分ないし二〇分間位で終了した。

5  本件手術により、原告は右示指、右中指の知覚神経である前記正中神経を切除され、知覚が鈍麻し、そのため右両指の運動にも支障をきたし、更に右示指にとどまらず右中指まで新たに激痛を訴えるようになつた。

四原告の症状

前記認定事実及び<証拠>を総合すると以下の事実が認められる。

1  マイナカウザルギーについて

(一)  メイジヤーカウザルギー

一八六四年頃報告された疾患であつて末梢神経の損傷に引き続いて灼熱的疼痛を主訴とし、戦時中にしばしば認められ、平時には少ない。

(二)  マイナカウザルギー

これは平時に認められるカウザルギー様疼痛をいい、原因は打撲、挫圧、切創等に続いて発生し、神経、血管損傷を伴うことも多いが、そうでないこともある。

マイナカウザルギーの定義については医学上いまだ定説がない状態であり、ある学者はその特徴として、(イ)自発性持続性の激烈なる疼痛(ロ)灼熱痛(ハ)損傷神経の支配領域を越えることがある(ニ)身体的感情的刺激により増悪すること等を挙げているが、一般にはこれほど厳密ではなく、外傷後に起る灼熱的疼痛と理解されている。

この疼痛は身体的、神経的刺激により増強される。

原因は明らかでないが、植物神経系の関与が考えられ、神経のブロツク、又交感神経節のブロツクにより疼痛軽減をみるのが普通である。しかし症例によつてはこれらも効果がなく、なんらかの処置を行えば行うほど疼痛が増強する場合もあるとされている。

2  本件手術後の症状

原告は、昭和四〇年五月二四日、右示指掌側の尺側の正中神経及び中指掌側の繞側正中神経を鋭利な剃刀で切断されたのであるから疼痛は除去されると通常は推測されるにもかかわらず、右手術の切断部に本件手術後から現在に至るまで激痛を訴えており、これらの症状に鑑定人岩谷力の鑑定の結果を照合すると、原告の本件手術後の症状は、マイナカウザルギーであると推断するのが相当である。

また、右手術直前の右示指瘢痕部の疼痛も、原告がその頃自殺したいほどの激痛を訴えていたこと及び現在の前記症状から推察するとマイナカウザルギーないしマイナカウザルギー様疼痛であると推断しうる。

五被告田中の過失

被告田中は外科医師として、患者を治療するに際し、充分に診察して適切な治療方法を採用する注意義務すなわち本件の如き神経切除は必ず知覚、運動麻痺が伴うのであるから、可能な限り保存的療法を採用し、やむを得ず観血的療法をとるときでも原告にその手術の範囲、効果等を充分説明してその承諾をえ、手術の方法、範囲も可能な限り小さくすべき注意義務を負うというべきである。

以下、これを本件について判断すると次のとおりである。

1  右示指掌側尺側正中神経の切除

(一)  原告は、被告田中において原告の症状が末梢神経損傷に随伴するマイナカウザルギーないしマイナカウザルギー様疼痛であることの診断を誤り、本件手術に際して手根部、手首、肘、肩に対する神経ブロツク、交感神経節ブロツクの保存的療法を採用すべきであつたのに、かかる治療方法をとらず、右示指、右中指の前記神経を切断し、両指にマイナカウザルギーを発生せしめたと主張する。

前記認定事実及び鑑定人岩谷力の鑑定の結果によれば、昭和四〇年五月当時、原告の疼痛は持続性があり、自殺を考えるほどの疼痛を訴えてはいたが、マイナカウザルギーの典型的症状が乏しいうえ、マイナカウザルギーの発生頻度が低いことからみて、本件の場合まずマイナカウザルギー以外の外傷後疼痛を疑つて治療を開始することは、医師として当然の措置であり、当時の原告の症状から五月二二日の時点でマイナカウザルギーの診断を下すことは、極めて困難なことであると認められるから、当時被告田中がマイナカウザルギーの診断をしなかつたとしても、それをもつて直ちに被告田中の過失と断ずることはできない。

又証人野島元雄の証言によれば当時の医学水準から言えば、整形外科医としては、マイナカウザルギーないしマイナカウザルギー様疼痛であるかもしれないという疑いは持つべきであつたということはできるが、それもその発生頻度が低いことを考慮すると、治療方針を変更しなければならぬ程度の大きな疑いをもつことを求めることはできない。従つて被告田中が原告の症状を神経癒着による疼痛と診断して交感神経節ブロツク等の保存的療法をとらず観血的療法を採用したことに過失を認めることはできない。

(二)  次に原告は、被告田中が観血的治療方法を採用した場合でも、知覚鈍麻等の後遺症が残らず、身体の完全性を失わない神経腫切除術、神経剥離術を採用すべきであるのにかかる治療方法を採用せず、右示指の前記神経を切除したことにより、右示指にマイナカウザルギーを発症せしめたと主張する。

証人野島元雄の証言によれば、かかる場合神経剥離術を採用するか、神経切除術を採用するかの選択は、具体的場合には難しい問題ではあるが、一般的には神経剥離術によつて瘢痕拘縮を生ずるおそれがあるから、それを避けるため、神経切除術を選択することも医学上相当であると認められる。従つて被告田中が右示指の瘢痕部で剥離手術を施行すると場所的に二重の瘢痕拘縮が生ずると判断し、前記右示指の近位掌側指皮膚線から約二センチメートルの手掌部で右示指の前記神経を切除したことをもつて同被告の過失とすることはできない。

(三)  原告は、被告田中が本件手術に際し、その範囲、効果、後遺症等一切の治療内容を告知せず、又原告の承諾を得ることなく神経切除を施行したと主張するが、これを認めるに足る証拠はない<証拠判断省略>。

(四)  以上、被告田中が右示指掌側の尺側正中神経を切除したことについては、被告田中に過失はない。

2  右中指掌側の繞側正中神経の切除

前記認定事実によれば、原告の本件手術前の疼痛は右示指瘢痕部の神経の疼痛であり、現に、五月二二日の診察の際右示指掌側の尺側正中神経のブロツクによつて原告の疼痛が除去されたこと、又、本件手術の際にも右示指の前記神経ブロツクによつて不完全ながら疼痛が除去されたこと等を考慮すると、手術で気が動転している原告が疼痛の残存を訴え、右中指掌側の繞側正中神経のブロツクによつて疼痛が完全に除去されたといつたとしても、右中指の神経が原告の疼痛に関連していると即断することなく、この際は右示指の神経切除のみに止め(自殺したいほどの疼痛は、これによつて除去されると期待しうる)、手術後の経過を観察すべき慎重さが必要であつた。そしてもし、被告田中において、右示指の神経切除のみにとどめ、その後の経過を観察しておれば、時間的経過のなかで、原告の症状がマイナカウザルギーであることが診断でき、あるいは少くともその疑いを強めることができ、その結果、右中指の神経切除による同指へのマイナカウザルギーの拡大、増悪を防止しえたものというべきである。にわもかからず被告田中は、手術最中で気が動転している原告が疼痛がまだ残つていると訴えたことから右中指掌側の繞側正中神経も疼痛に関連していると即断し、即座に右中指の前記神経を取り出してブロツクし、それで疼痛が完全に除去されたとして右中指の前記神経の切除術を行つたもので、(なお同月二二日には右示指瘢痕部のブロツクだけで疼痛が除去されており、右中指の前記神経が原告の疼痛に関連していたか否かは極めて疑問である)この点に被告田中の過失があるというべきである。

六損害

1  慰謝料

被告田中の前記過失により本件手術以前には疼痛の存在しなかつた右中指にも新たに激痛(マイナカウザルギー)が発生したほか、同指の知覚神経が一部失われ、前記激痛と相俟つて右中指の運動にも影響を及ぼすに至つた。そのため原告は日夜激痛に悩まされ、酒を溺愛し性格も陰気となり、以後家庭生活も円満さを欠くに至り、精神的肉体的苦痛を蒙つていること―原告本人尋問の結果(一、二回)―が認められる。

しかし、他方マイナカウザルギーの発生については患者の特異性が寄与すること及びすでに右示指について本件手術前からマイナカウザルギーないしマイナカウザルギー様疼痛があり、自殺したいほどの疼痛を訴えていたものであることを併わせ考えると原告の肉体的、精神的苦痛を慰謝すべき額は八〇万円が相当であると認める。

2  弁護士費用

原告本人尋問の結果(一回)によれば、原告は昭和四三年五月ころ本件訴訟の追行を弁護士藤原周に委任し、着手金として一一万円を支払い、勝訴したときは二九万円を支払う旨約したことが認められる。本件訴訟の難易度、認容額等諸般の事情を考慮すると、二〇万円が相当と認める。

七被告野崎の責任

前記当事者間に争いのない事実によれば、被告野崎は被告田中を雇傭し、本件手術も被告野崎が自己の業務の執行につき被告田中に命じた手術であるから、被告野崎は被告田中の使用者として民法七一五条により、原告に対し前記損害を賠償する義務がある。

八結論

よつて、原告の本訴請求は債務不履行についての主張を判断するまでもなく、前記認定の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(下村幸雄 豊永多門 高橋水枝)

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